神仏が人間に見せる辛い現実
基本的に神仏様と縁ある人間は、現世での修行をさせられます。
これを言い換えれば試練を与えられるということにもなります。
但し、神仏様は人間に対し乗り越えられる試練しか与えません。
はじめから乗り越えられない試練など神仏様は与えないのです。
もし人間の力で乗り越えられない試練の場合は、最後の最後で神仏様が手を差し伸べ力を貸して下さいます。
だから必ず乗り越えられるのです。
しかし、それを最初から「駄目だ」「無理だ」という風に諦める人間は努力を怠ります。
最後まで諦めずに努力すれば、必ず乗り越えられる試練であるにも関わらず、楽な方へ楽な方へと意識が傾き、それにより努力という行動を怠ります。
これ試練を乗り越えられないのでは無く試練を乗り越えないのです。
試練を乗り越えない人間に成長など御座いません。
神仏様から与えられた試練を「有り難い」と努力する人間は神仏様の御守護を得ます。
一方で神仏様から与えられた試練を「私には無理だ」と努力しない人間からは神仏様も離れてしまいます。
神仏様から見せられるのは辛い現実ですが、その辛い現実を乗り越えることで人間は成長し、やがて神仏様から楽ある世界へ導かれるのです。
悪魔が人間に見せる甘い幻
神仏様から見離された人間はどうなるのか、そんな人間に近づいてくるのが悪魔です。
悪魔は人間が成長し幸せになるような試練を与えません。
辛い試練とは真逆の甘い幻を与え人間を陥れるのです。
また、最初から悪魔が憑依し、神仏様からの有り難い試練を「やめとけ」「辛いだけだ」「お前には無理だ」「諦めろ」「楽しろ」と試練を放棄させようとします。
そもそも悪魔が憑依する人間というのは、自分に甘い人間が多いので、いとも簡単に悪魔の甘い言葉に惑わされ、いとも簡単に楽な幻の世界へ陥ります。
悪魔から見せられる甘い楽な世界は幻であり、その幻に人間が溺れることで、悪魔から苦の世界へ陥れられるのです。
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。