いつまでもあると思うな親と金!ということわざが御座いますが、正しく「いつまでもあると思うな聖天様(歓喜天)のご利益です。
人間とは、私を含め浅はかな生き物です。
今居る親も、今あるお金も、当たり前だと思いがちです。
しかし、親はいつか他界するし、お金もいつか無くなります。
だから親は生きている間に親孝行するべきだし、お金も無駄遣いせず稼ぐ努力を怠ってはならないのです。
聖天様(歓喜天)も同じです。
困った時は、藁をも掴む思いで、聖天様(歓喜天)に縋る。
例えば、寺院で浴油祈祷し、当方の特別祈祷し、自宅に聖天様(歓喜天)のお札を祀り毎日朝夕お勤めする。
そして、聖天様(歓喜天)からご利益を授かり救われる。
昔の苦労は何処へやら、聖天様(歓喜天)のご利益を授かり平穏な日々を過ごす。
それをいつしか当たり前に思う。
するとどうなるか・・・
毎日朝夕お勤めしていたのが朝だけになる。
毎月の浴油祈祷や特別祈祷が2ヶ月に1度、3か月に1度、半年に1度となる。
これが人間の常です。
聖天様(歓喜天)のご利益は永遠では御座いません。
もちろん助けられ平穏になれど、苦しい時を忘れず変わらず、聖天信仰すれば継続してご利益を授かるでしょう。
しかし、人間は苦しい時に必死になれど、楽になると何かを心が緩み、何事も怠りやすくなります。
しかも、自分が怠っていると気付きません。
聖天様(歓喜天)のご利益も、聖天様(歓喜天)のご縁も、全てを失ってから初めて、自分の怠りに気付くのです。
しかしそれは、後の祭りです。
人間が他人から信用を得るには多くの時間が必要です。
しかし、人間が他人からの信用を失くすのは一瞬です。
聖天様(歓喜天)のご利益も、多くの場合は長い月日を経て功徳を積み授かります。
しかし失うのは一瞬なのです。
まだ聖天様(歓喜天)からご利益を授かっていない人は、「私は怠らない」と思っているかもしれませんが、聖天様(歓喜天)からご利益を授かった人は、辛く苦しい時にしてきたことを思い出して下さい。
辛く苦しい時と、ご利益を授かり安堵している今と、何か変わっていませんか?
何か怠っていませんか?
御真言の回数が減っていませんか?
御供の数が減っていませんか?
参拝する数が減っていませんか?
浴油祈祷や特別祈祷する数が減っていませんか?
1日の時間の中で聖天様(歓喜天)を思う時間が減っていませんか?
あなたが授かったご利益の多くは、聖天様(歓喜天)の功徳をお借りしたご利益であります。
お借りしたものを返すのは当たり前の話です。
つまり、聖天様(歓喜天)からご利益を授かり救われたなら、怠るどころか逆に苦しい時以上に、功徳を積み聖天様(歓喜天)に返すべきなのです。
一生に一度の試験など、単発的なことならともかく、商売繁盛や恋愛や結婚など、継続したご利益が必要な場合には、「いつまでもあると思うな聖天様(歓喜天)のご利益!」です。
合掌
執筆者:聖パパ
皆様からのコメントお待ちしております。