元の木阿弥
聖天様(歓喜天)に祈願して、せっかく聖天様(歓喜天)に御利益を授かるも願い叶うも、また元の木阿弥になるという人は結構多いです。
ちなみに元の木阿弥とは「悪い状態から良くなるも、再び元の悪い状態に戻る」という意味で御座います。
その大きな要因の1つが「怠慢」です。
御利益の継続性
聖天様(歓喜天)に御利益を授かるも願い叶うも、元の木阿弥になるか否か、そのポイントとなるのが「願い叶った後も、引き続き継続した御利益を必要とするか否か」です。
先ず継続した御利益を必要とする願い事には次のようなものが御座います。
※商売繁盛
聖天様(歓喜天)から御利益を授かるも願い叶うも、その御利益が継続しなければ商売は暇になり元の木阿弥となります。
※恋愛成就
聖天様(歓喜天)から御利益を授かるも願い叶うも、その御利益が継続しなければ、別れてしまい元の木阿弥となります。
※その他
次に継続した御利益を必要としない願い事は次のようなものが御座います。
※合格成就
聖天様(歓喜天)から御利益を授かり、高校受験など志望校に合格し入学することが出来れば、御利益の継続は不要です。
※安産祈願
聖天様(歓喜天)から御利益を授かり、授かった大切な生命を母子とも健康に出産が出来れば、御利益の継続は不要です。
※その他
以上のように、継続した御利益を必要としない願い事なら良いですが、継続した御利益を必要とする願い事の場合は、御利益を授かるも願い叶うも、元の木阿弥にならぬよう、祈願を継続する必要が生じます。
失敗する人間は、聖天様(歓喜天)から御利益を授かるも願い叶うも、その幸せが何時いつまでも続くと、つい安易な気持ちになり、それが元の木阿弥になってしまうことなど考えもせず、御利益の継続を願う祈願を怠ります。
失敗する人間は、聖天様(歓喜天)から御利益を授かるも願い叶うも、それが何時までも続きますようにと継続性を必要とする一方で、聖天様(歓喜天)へ「この状態が続きますように」と御利益の継続を願う祈願を怠ります。
聖天様(歓喜天)から御利益を授かるも願い叶うも元の木阿弥となり、再度また御利益を授けてもらい願い叶えてもらうのは、なかなか困難と言えます。
あなたの願いは御利益の継続性を必要とする願いですか?
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。
ハッとする内容の記事ですね…。
お勤めしていますが、ちゃんと心を込めているか!?
怠けていないか?
もう一度確認して精進してまいります。
何か不安が生じたら気軽に相談して下さいね!^^
合掌