聖夫婦
聖天様と人間が御縁であるように、人間と人間も御縁に御座います。
この世を生きるに大切にすべきものは沢山ありますが、その中に間違いなくあるのが「縁」です。この縁を重んじる人間と軽んじる人間がいますが、縁を重んじる人間より縁を軽んじる人間の方が多いようにも感じます。
縁というものは、人間が授かりたいといって授かれるものにあらず、多くの場合は天の意により授かれるものに御座います。縁の中には悪縁というものも御座いますが、それが本当に悪縁なのか否かの判断を人間が行うことは、大変難しいことに御座います。
愚かな人間は、何かちょっと気に入らないことがあると、直ぐに悪縁だと判断して、安易に縁を切ります。しかしその判断を間違えて、悪縁じゃないのに縁を切り、後になってから後悔をする人もいます。
悪縁とは書いて字の如く悪い縁です。人間が良縁にしようと努力しても、出来ないのが悪縁です。しかし多くの人間は、良縁にしようという何ら努力もせず、何かちょっと気に入らないことがあると、安易に悪縁と判断し縁を切るのです。
また、悪縁とは相手そのものである場合と、その相手との縁の中の一部である場合が御座います。その場合は相手との縁を切らずとも、悪縁である部分だけ切れば良いのです。ただ先程も書きました通り、人間が相手そのものが悪縁なのか否か判断したり、相手との縁の一部が悪縁なのか否かなど、判断することは困難だと言えます。
それでは、一体どうすれば正しい判断が出来るのでしょうか。
そこは正しい判断をしてくれる、聖天様に縋りお任せすれば良いのです。
仮に御祈祷であれば、願意を「悪縁切り」とし聖天様に願うことで、悪縁が存在するか否か聖天様が判断して下さり、その相手との一部に悪縁が存在すれば、その悪縁の部分だけ切って下さいますし、相手そのものが悪縁の場合は相手そのものとの縁を切って下さいます。
また、願う時に相手の心当たりが無い場合は全てを聖天様にお任せしても良いですし、相手の心当たりがある場合は、相手を特定することで、聖天様がその特定の相手との一部に悪縁が存在すれば、その悪縁の部分だけ切って下さいますし、その特定の相手そのものが悪縁の場合は相手そのものとの縁を切って下さいます。
この世で授かる縁は宝である場合が多いです。安易に悪縁だと判断し自分で縁を切ってしまうも、実は悪縁じゃなかったという場合もあり、更には後から良縁となるような宝の縁もあるのです。
もし気になるような相手がいる場合は、自分で安易に判断し縁を切らず、悪縁であれば悪縁だけを切ってくださいと、聖天様に願い縋りお任せして下さい。
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。