いきなりですが、あなたは聖天様(歓喜天)に求める意識と捧げる意識、どちらが強いですか?
恐らく多くの方が聖天様(歓喜天)に対して求める意識が強いかと存じます。
しかし、私ら夫婦は求める意識よりも、遥かに捧げる意識が強いのです。
そう、辛く苦しく助けて欲しい時も、求める意識より捧げる意識が勝っています。
別に求める意識が悪いとは申しません。
聖天様(歓喜天)に願いを込め祈願し、ご利益を求めることは普通であります。
しかし、求めるだけで良いのでしょうか。
人間社会でも「ギブ・アンド・テイク」という言葉があります。
ましてや相手は神様であり、しかも普通の神様ではなく、神様の中の神様である聖天様(歓喜天)です。
そんな最高峰の神様に対し我々人間が求めるだけでは駄目だと思うのです。
しかも聖天様(歓喜天)は神様という存在のみならず、有り難くも聖天様(歓喜天)から御縁を授かったということは、聖天様(歓喜天)は家族です。
家族とは何でしょうか。
それは「無償の愛」です。
この世で人間が無償の愛を捧げることが出来るのは家族だけです。
繰り返します。
聖天様(歓喜天)は家族です。
家族には無償の愛を捧げること普通です。
それにも関わらず無償の愛どころか授かることばかり考え、求めることばかり意識していて、そんな一方通行の人間を聖天様(歓喜天)は救って下さるでしょうか。
もちろん救って下さるでしょう。
最初の一度は・・・
私がここで何を言いたいか。
聖天様(歓喜天)から御縁を授かった時点で救われたも同然です。
聖天様(歓喜天)に縋れば救って下さいます。
そんな聖天様(歓喜天)に何か捧げることはないものかと思うこと普通ではないでしょうか。
私ら夫婦は聖天様(歓喜天)に生かされております。
聖天様(歓喜天)は私ら夫婦の父であり母です。
つまり今のイメージ的に子供らにとっては祖父と祖母になりますが(笑)
困ったことがあれば、助けてほしいことがあれば、親に縋れば良いのです。
そして、親孝行なさいませ。
そうすれば必ずや親が子を救って下さいます。
合掌
執筆者:聖パパ
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