罰が当たるとは
人間の悪い行いに対する
神仏様の懲らしめを意味します
人間は誰もが罰を嫌います
その気持は理解しますが
罰も当たるうちが華です
人間でも同じですが
叱ると怒るは違います
怒るは自分ありきです
叱るは相手ありきです
親は子供の為に叱ります
聖天様も同じです
聖天様は人間の為に叱ります
それが愛情のある罰です
聖天様は人を選ぶ神様です
聖天様から愛情ある罰を受けるのは
聖天様と御縁ある証
聖天様と御縁のない人間は
愛情ある罰すら授かれません
何か間違ったことしても
何か悪いことしても
スルーされます
人間にとって
愛情ある罰を授かることが有り難いか
スルーされ
罰を授からないことが有り難いか
どちらが有り難いことでしょうか
私は愛情ある罰を
授かることが有り難いと思います
人間は間違いだらけです
その間違いも
聖天様を正しく信仰しておれば
聖天様が優しく正して下さいます
スルーされたら間違いのままです
罰が当たるのも
当たるうちが華です
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。