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世間と出世

神仏様
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僧侶様の法話

さて今日は、世間と謂う事に付いてお話しましょう

此の【世間】と申します言葉も元々は、仏教用語より一般化した言葉で御座います。

私達は、世間話と言われるように「世間は、どうだ」「世間では、〇〇」と申します様に一般的には、世間体を優先する傾向に有りますね日々、世間に対しての言動は、自分の頭や心で感じ考え行動して居る様に錯覚致しますが大抵は、【世間】を拠り所として世間体を規準とし顔色を伺い世間の要求に従い世間の評価ばかり気にしては、居ないでしょうか?

確かに調和を図るには、世間の意見に耳を傾ける事も大切ですが自分と言う存在を認識し其の縁(作用)を認識しないと自身の人生を見失い自身が何の為の存在かも見失いますね

方丈記の一節に次の言葉が御座います。

「往く河の流れは、絶えずしてしかも、もとの水に非ず淀みに浮かぶ泡沫は、且つ消え、且つ結びて久しくとどまりたる例無し世の中にある人と栖とまた斯くの如し」

要するに、諸行無常を詠んだものですが則ち常に移り往く世間は、時間と共に変わると謂う「変壊」の法則に従います。

故に常に変わる存在に拠り所は、無いのです。

謂わば時代に於いて価値観や考えと申しますものは、時代と共に変化致しますから有る程度の参考としても【安心】を得る為の拠には、成りません

御釈迦樣は、世間から出て解脱し彼岸へ到達した存在ですから其の教えを【出世間法(如来法)】と申しまして【出世】の語源でも御座いまして此れに対して移り往く世間の法則に従う事を「世間法」と申します。

さて、出世法の一つとして涅槃經の一節に【自灯明、法灯明】と謂う言葉が御座いますが此の言葉は、御釈迦樣が沙羅双樹の下、涅槃に至る際に阿難尊者の最後の問いに対して申された言葉で御座いまして其の内容とは、「師よ貴方は今、我々弟子を遺し涅槃へと向かわんとす・・・。
然し遺された我々弟子は、貴方の存在無くして何を拠とし如何にすべきでしょうか?」

其の際に説かれた最後の言葉が「自灯明、法灯明」で御座いまして詳しくは、「阿難よ私が入滅するとも私の説いた法は、滅せず則ち自身を灯明とし其の法を灯明として拠とすべし…。」
と申された後に涅槃の刻を迎えられ後々に於いて其の言葉に従い弟子の方々が集まり其まで口伝で有った教えを文字に起こし編纂致します。

是が御経の始まりで御座いまして其の名残が多くの御経の冒頭に【如是我聞(是くの如くを我聞き)】の言葉が説かれて居り多くの弟子の方々が聞かれた智恵の数々【出世法】が現代にも伝わって居ります。

さて、世間に於いて生かされて居る私達は、確かに【世間法】も大切ですが其れと同じ様に自分の心で観じ自分の頭で考え行動する「自灯明、法灯明」の出世間法も大切なので御座います。

要するに貴方の人生の主人公は、貴方で有り他人では、無いのです。

謂わば心の安息(安心)を求めるならば自己と理を知り世間を知って偏る事無く調和を図る事が肝要ですし世間に影響されない心【心棒(辛坊)】を持ち正しい行動する事、則ち【出世(出世間)】を目指し精進を重ねたいものです。

要するに、行雲流水の心に従い自由な心と足りる事を知った偏った欲に左右されない意思と慈悲の心が出世には、肝要な種と成るので御座いまして其の境地に至る為には、智恵を身に付け日々の行いに生かす事が肝要で御座います。

天祥 九拝

執筆者:瑞鳳天祥

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法話

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