再度投稿させて頂きます。
本当に聖天様とのご縁は奇跡に近いかもしれません。
何とかこの状況から抜け出したい、助かりたい、何とかしたい、誰か助けて、お願い救われたい。切実に思っている方に救いの手を聖天様は差し伸べて下さるのだと思いました。不思議に、導かれるように人を介して聖天様の所にたどり着くといった感じがします。
あの時あの場所にあの人に会わなければ・・・
聖天様は人を動かし導いて下さろうとしております。
ただ、その機会ではないというときもありますよね。話をされても耳に残らない。私のお友達も何年もしてから導かれました。
本当に最後の最後の希望の光だと思います。
私の母は透析26年の間、何度も死ぬ目合いながらその窮地を救って頂きました。
透析をするのに”シャント”という、透析の命ともいう太い血管を作る手術をします。母は11回の手術が失敗し両手が傷だらけになりました。両手が動かせるまで何か月もかかりました。何故、こんな目にと思いました。
やっと使える”シャント”が出来、透析の人生が始まります。色々な霊感のある所にも行きました。透析からはずれたい一心で!初めは元気でしたが月を重ねるごとに弱って生き死にの状態になっていたと思います。
入院も何度も繰り返していました。その時でした。同じ病室に弟の同級生の母親が違う病室から移ってきたのです。本当に偶然の出来事です。そこで母は「とにかく釧路の深山にすごい神様がいるから行ってみたら。」と勧められたようでした。その時の私は札幌の霊感の強い方の所に母を連れて行こうとしていました。でも、母は「私は釧路の深山に行く」といって聞かなかったのでした。
あとは、前に投稿したとおりその日から7年、1度も入院せずにいることが出来たのです。
あとでわかりましたが、母はある宗教団体に入っていたときに、入信させるときそのお宅の神棚を燃やす手伝いをしていたそうです。
それが11件くらいあったのではないかと言われました。はっきり言って『神様の罰(バチ)』だったのです。助けて頂いた神様にとてもとても感謝して信じている母には最期まで言えませんでした。
神様の罰ほど怖いものがないと言われます。何をやっても決して事が上手く進まない。上手く進んでも必ず一番効果的な時にどん底に落ちる。神様を怒らせる程怖いものがないと話されていました。
こんな事を書くと不気味にとられるかもしれませんが、自分が生きているうちに起こしたことは、良い事も悪いこともすべて自分に返ってくるという道理を教わりました。この道理は神が決めたものでこれは真理であると
話はそれましたが、信じて手を合わせる聖天様はそんな罪を犯した母でも救ってくださいました。そしてその子供の私たちもです。
犯した罪は償わなければなりません。償いながらでも平穏無事に日々暮らせる事は幸せな事です。
聖天信仰をしていなければ今の状態で済んでいる私たちはいなかったかもしれません。。
あの時、あの場所で母が弟の同級生の母親に会わなければ、そして信じなければ奇跡は起こらなかったと思っています。
偶然は何一つない。すべて必然だと。偶然に見えてすべては神にさせられていること。
たくさんの方に奇跡が起こり救われることを祈ります。
聖天信仰は最後の希望の光です!
読者投稿:山口あけみ様
皆様からのコメントお待ちしております。
※本文から移動
山口あけみ様、再投稿下さり有難う御座います。
聖天様(歓喜天)は、神棚を燃やし罰を受けたお母様にも御縁を授け救って下さったということ、読者様の希望となるかと存じます。
人界に生を受けた誰もが何らかの罪を犯します。
そして他の諸仏諸神様から見捨てられた人間をも聖天様(歓喜天)は救って下さる神様で御座います。
それを実例として記して下さり、読者様に聖天様(歓喜天)の慈悲深さ及び聖天信仰は最後の光と教えて下さり喜び感謝を致します。
合掌